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vol.4 -上原潤一郎氏-「人の悩みに寄り添い、魔法をかけて変身させてあげたい」

株式会社マジコ
代表取締役 上原潤一郎

上原潤一郎(うえはらじゅんいちろう)|2006年に東京都、下北沢に「Magico(マジコ)」をオープンし、現在ではコンセプト型サロンを計17店舗展開。(2022年9月現在)有名サロンとのコラボサロンも展開するなど、その経営手腕に師事する美容院オーナーも多数。今回は、美容師を志し、経営者として現在に至るまでのキャリア、そして今後の展望についてお話を伺いました。

株式会社マジコ:https://magicohair.info/
Instagram:https://www.instagram.com/magico_jun/

自身のコンプレックスと、好きなライフスタイルのクロスポイントが美容師だった

美容師を志したのは、「楽しそうで自由に見えた」というのが根本ですかね。髪の毛をいじるのも好きだったというのもありますが、髪型やファッションが自由だし、単純にカッコよく見えたというのがありますね。

あとは親族に商売人が多く、将来自分も自分で商売したいなと思い、手に職をつける意味でも美容師はいいなと思ったのがきっかけですね。

高校卒業後、横浜の専門学校に進学しました。ただ当時は、特に明確なビジョンなどは定まっていなかった時期なので、昼間はバイトしながら夜間で学校に通っていました。美容師になるかどうかわからないけど、とりあえず免許でも取っておくかと。笑

当時は90年代後半なので、なんというか、とにかく自由で刺激が多かった時代でした。バブルがはじけた後、徐々に活気を戻しつつあるような。とにかく色んな刺激があったので、「こうなるんだ、こうなりたいんだ!」というものはなく、将来に対してはフワッとしてましたね。

卒業後は実家に住んでいたこともあり、川崎の大手ヘアサロンに就職しました。5,6年お世話になったのですが、当時の90年代後半は海外ブランドが流行っていて、大手しかインポートできなかったこともあり、海外ブランドでフレンチ系の大手サロンに就職しました。

フレンチ系の強みはレザーカットなど、単純にカットするというものではなく、技術がちょっと違ってカッコイイ、そんなサロンでした。ただ、特に「ここに就職したい!」という強い想いがあったわけではなく、先輩に誘って頂き、「じゃあここでいっか」という自然流れで就職しました。

僕には、「売れたい、稼ぎたい、有名になりたい!」といった想いは特になく、ライフスタイルを重視して生きていきたいというのが根底にありました。

車も持っていましたし、犬も飼っていましたし、仲間も地元にいる、という環境でしたし、好き勝手やりながら生きていたいという想いが強く、正直何の仕事でもいいやという感じでした。ただ、髪の毛を触るのが好きでしたし、仲間の髪を切ってあげるなど、コミュニティやライフスタイルを大事にしていましたね。

あとは、クセ毛がコンプレックスとしてあったことが大きかったですね。クセ毛というだけで人と異なるので当時はすごく悩んでいましたね。当時はツンツンヘアーも流行っていたこともあって、思春期のクセ毛は結構悩みでしたよね。

写真:上原潤一郎氏

撮影、技術を一通りやり切ったのちに31歳で独立

最初の就職が大手サロン、いわゆる会社という組織に入ったことは結果的によかったですね。教育も整っていましたし、今でいうKPIやPDCA的なもの、生産性を追いかける議論や、物販促進のような議論が活発にあったので、学びが多くすごくよかったなと。

しかしながら、徐々にマンネリ化してきたときに美容ブームが来たんですよね。原宿を中心にすごく盛り上がってきていたので、「じゃあいっちょ自分も行ってみようか」ということで原宿のヘアメイク事務所に転職しました。

今でもありますが、ヘアメイクさんがやっている美容室でした。これまで技術を学んできましたが、撮影や芸能系の仕事が舞い込んでくるような環境で、業界を学んでいるのもいいなということで、そちらに転職しました。

当時は芸能人を担当しているサロンがフューチャーされているタイミングで転職したのですが、その後、美容師としてすごい技術をもっている、劇的にお客様を変身させられるようなサロン、いわゆるカリスマ美容師ブームが訪れ、結果的に自分自身はメインストリームには乗れずにいました。

ただそういう流行であっても、渋谷、原宿、下北もそうですが、ライフスタイルを楽しんでいる美容師たちが結構いたんですよね。バイク乗っておしゃれして、ちょっとやんちゃな感じで。そこには確かなカルチャーがあり、僕もそこの文化に触れながら過ごしていました。

その後は、芸能系ばかりではなく、「雑誌系もやらないとな」と思い、雑誌系に強い大手サロンに転職し、そちらでもよい経験を積ませて頂いたのちに、改めて接客含めた技術系に注力したいなと思い、さらに技術が磨ける青山のサロンに移りました。

かれこれ7年くらいかけて、撮影、技術と一通りやり切った感じがあって、今後どうしようかなと考えるようになりました。カルチャーのあるエリアで、自分のペースでゆっくりやりたいなと。そこで、学生時代に慣れ親しんだ下北沢で、独立を視野にいれて下北沢のリニューアル予定の店舗に転職しました。

転職先には5年くらい勤める予定で、その後独立する計画で進めてたんですが、同じく美容師をしている妹から「お兄ちゃんお店出してよ」ということで、計画より2年早く独立しました。当時付き合っていた彼氏と同じ店で、「別れで居づらくなったから」という理由だったようです。笑

写真:上原潤一郎氏

スタッフとのベクトルの乖離が店舗展開のヒントに

妹から頼まれ、「じゃあお店やるかー!」と考えているときに、ちょうど商店街の八百屋が閉店するタイミングだったようで、たまたま運よくそのテナントを抑えることができたんですよね。それが今のMagico(マジコ)の本店です。

当時はビルの間借りという感じで、上に大家さんが住まれていて1Fをお借りしました。オープン初月は売上が70万くらいしかなくて、家賃はギリギリ払えた感じで大変でしたが、とにかく楽しかったですね。その翌月以降はシーズンということもあり、順調に売り上げがたちました。

当時はネットもないので、商店街でビラ配ったり、泥臭くやってましたが、とにかく楽しくやれてましたね。その後1~2年くらいでスタッフが5人くらいまで増えて、手狭になってきたときに転機が訪れました。

上の階の大家さんが引っ越すということで一棟ごと借りることになり、一気にフロアスペースは4倍、家賃も2.5倍になりました。かなり焦りましたが「やる!」と決めたのでスタッフ集めから本気で取り組みましたよね。

それからありがたいことに順調にいき、スタッフも10人くらいになりました。今から10年前で、まだ1店舗のままですね。当時は1店舗だけでもいいと思ってましたし、逆に「チェーン展開ってどうなの?ブランドが薄まらない?」という感じに思ってましたし、年間1億売上があれば利益率もある程度取れ、自分の目も行き届きますし、これで十分だなと思っていたんですよね。

ただ、スタッフも年齢を重ねてきて、個々人のやりたいことのベクトルが徐々にズレてきてました。男性スタッフであれば自分でお店をもったり、女性であれば長く勤められるお店とか。

僕は下北の若い人とガチャガチャ騒がしくやれればと思ってましたが、スタッフの中には「もう少し大人なサロンをやりたい」など、スタッフとのベクトルのズレを感じできていたので、そこから店舗展開を考え始めました。

2店舗目は白髪染め専門店をやり始めたんですが、「白髪染め自体は安くして、他の部分でマネタイズすればうまくいくのでは?」と感じ、パートさん雇って始めたらうまくいったんですよね。今は大手に売却したんですが、この店舗展開の経験がかなり手ごたえがありました。

この経験がヒントになり、次に若手とベテランと、世代で店舗を分けてみたんですよね。当時1店舗で月間1000万くらいあったのですが、店舗を分けたところ、それぞれ若手が500万、ベテランが600万とキレイに分散してしまいました。しかし、しばらくするとそれぞれが1000万弱まで成長したんですよね。

これはお客さんにとってもすごくよかったんです。年齢を重ねるにつれ、店舗のコンセプトやスタッフとの相性に乖離が出始めた方もいらっしゃったみたいで、わけたことでお客様がなじみやすく、来やすくなったようで、結果的にお客様に評価されたのかなと。

コンセプトがしっかりしていれば、人が集まり、うまくいく

この経験から、「それぞれコンセプトのあるサロン作ろうよ、そうすればお客さんが分散することないし、同じエリアで多店舗展開もできるよね」という方針で多店舗展開を実行していきました。

もちろんそんなに簡単な話ではないですが、下北沢というエリアは、世田谷区自体が人口も増えてきている一方で、値段にはシビアかつ、大手より個人店がウケるエリアなので難しいマーケットではありましたが、勝手を知っている慣れ親しんだエリアで、「下北らしさNo.1」で攻めてみようかなと。

まず手始めに、「毎月通えるお値打ち価格で通えるサロンがあってもいいよね」ということでクーポンサロンも始めてみました。最初から使えるクーポンをみんなに渡し、常にお値打ち価格でデザインカラーが楽しめるコンセプトです。

「単価が下がる分、結果はどうなんだろう?」と思っていましたが、単価が低い分、通える頻度増え、接触頻度が高くなると自ずとお客様のエンゲージメントが高くなり、結果的にカットやトリートメント、物販比率が高まり単価が上がったんですよね。

他にも、下北沢には女性スタッフだけの店舗もあります。美容室に行くのは恥ずかしい、メイクの仕方が分からない、ファッションにも自信がないという女性は意外に多く、そのような悩みを抱えている女性すごくウケています。

その後、各ブランドがある程度順調にいったものの、下北沢は求人には強くないという課題がありました。やはり美容師が目指すのは青山、原宿、表参道エリア、下北沢での展開では、中々求人が集まりづらくこれ以上スピードが上がらないなという課題がありました。

なので、そこから原宿、表参道エリアにうってでることにしたんです。原宿、表参道エリアで、下北沢でやっているような、尖った個人店の強みや人懐っこい接客というのを提案してみたんです。

結果、お客様からかなりウケましたよね。デザインカラーの技術だけではなく、お値打ち価格で、そしてスタッフのキャラクターもたっている、お客様からありがたくご評価いただけました。

原宿、表参道でも店舗展開したことで、求人も順調に伸びていきました。僕自身、青山、原宿、表参道エリアでたしかな技術を学び、マーケットとして難しい下北沢で集客を学び、そこにプラスして「採用のパイプが作れれば強いなー」と思っていたところに、全てのピースがハマった感じです。

採用が順調にドライブしていったことで、デザインカラーの特化性と、「今後こういった専門店がウケるんじゃないか?」という先読みをして出店を進めていきました。

例えば餃子の王将のように安価で美味しい餃子を集客アイテムとしてように、デザインカラーを安価の金額で設定して集客し、カラー、トリートメントで利益を出し、いかに空席を出さないかというゲームをやりながら出店を進めてきた感じです。

空いている席が一番の損なので、「とにかく空席を埋めるにはどうすればよいか?」という戦略を取ってきた結果ですね。

僕は経営者である立場でもありますが、プランナーの側面もあります。「こういうのやりたいんだけど、どうかな?」という感じで仲間を集めたり、賛同がなくても勝手にやってしまったり。笑

やはり当たる店舗はコンセプトがしっかりしてますね。コンセプトに人が集まってきます。これまでは人由来での出店が、業界でも多かった気がしています。「このスタッフはこのジャンルに強いからこういうお店出そう!」といった感じで。ただ人由来だとその人への依存度が強く、人の気分が変わったり、辞めてしまったら破綻してしまいます。

まさにそこがヒントがあって、コンセプトがしっかりしていて、フォーマットがきちんと構築されていて、コンセプトにフィットさえしていれば、誰がやっても働けて、きちんと機能するんですよね。

「女性だけでビューティーやりましょう」、「東京のど真ん中でメンズカットやりましょう」、「楽しみながらゲーム感覚でデザインカラーやりましょう」、といった感じでコンセプトを明確にすることが重要です。

もちろん進めるうちに変えていく部分もありますが、やはりきちんとコンセプト固めて仕掛けることで、いい結果が出ている気がしています。コンセプトがハマってきたり、そのお店やスタッフが育ってきたときに店舗を増やしていくイメージですね。

写真:上原潤一郎氏

「内面を輝かせたい」という想いで、これまでとは違った新しい文化をつくりたい

今後はやりたいブランドで店舗数は増やしつつも、実験店舗をやっていきたいですね。特に、大箱で内装をバッキバキに仕上げて、「内装費1億かかってしまいました!笑」というような店舗もやってみたいですね。

一方で、今のスタッフは平均年齢は25歳くらいで、ちょうど30歳くらいのリーダーたちが今後やりたいことを叶えていくとフェーズにあると思うので、彼らがやりたいことも実現していきたいですね。

また、これまで美容院を中心にリニューアルやリブランディング、飲食、アパレルも含めると、かれこれ30店舗くらい展開してきましたが、今後は福祉もやっていきたいなと考えています。

周囲には言ってないですが、自分自身にも子供ができたこともあり、児童養護施設や障害者支援など、もし自分が参画できるご縁があればチャレンジしたいと思っています。

「内面から輝かせたい」という想いがあるので、若い人たちを巻き込みながら、応援するような仕事を通じて、これまでとは違った新しい文化が作れたらいいなと思っています。

僕はずっとコンプレックスを持っていたし、勉強もできたわけでもないし、スポーツができたわけでもなく、弱者だったという思いが強くあります。

なので、子供ができたということもありますし、困っている方々が、今後どう生き残っていくのか?ということを考える機会が増えました。親御さんがいない、虐待を受けたことのある子、障害のある子など、困っている方々を支援できる仕事ができたら夢があるなと感じています。

これまでオシャレでかっこいいなと思うことを、楽しみながらやってきた一方で、今後はそのようなな仕事ができたらなという思いで取り組んでいます。

写真:上原潤一郎氏

人の悩みに寄り添い「魔法をかけて変身させてあげたい」

NOFATEさんとの出会いというのは、水野さんとの出会いがあって、水野さんのコンプレックスを克服した話、意見に素直に期待しましたし、いい商品なんだろうなと思ったことが一番ですね。

リアリティがそこにはありました。単にテクノロジーやオンラインでお買い求めやすくなったのではなく、ご自身の意見というのに素直にいいなと思いました。

美容師というのはお客様に女性が多いですが、男性で薄毛に悩まれている方は少なからずいらっしゃいますし、いつかは来るという意識がありますよね。薄々いつかは来るんじゃないか?と不安になられている方は多いなと再認識させられました。

その中で、いつも来られているお客様に対してきちんとお悩み解決できるように、美容師としても知識をつけて寄り添えるようにならないとなと気づかされました。

NOFATEは薄毛に悩んでいる方に寄り添っていますが、人の悩みは様々あって、悩みをお持ちで変身したい方というのはたくさんいらっしゃいます。僕が創業し、Magico(ポルトガル語で「魔法使い」)という社名をつけたのも、「魔法をかけて変身させてあげたい」という想いがあるからです。

そのような想いが根底にあったので、水野さんの存在は身近でしたし、10年薬を服用されているということで、治療を続けている方のお話も初めて聞いたので、想いの詰まったサービスなんだろうなと。

もちろん他社のサービスもあるかと思いますが、水野さんが「美容師と一緒にお客様の信頼を築いていきたい」、「デリケートな部分だから身近な美容師に相談するんじゃないか?」ということで、美容業界に白羽の矢を立てて頂いたことは素直にうれしかったですし、僕は応援したいなと思いました。

また美容師は、人の悩みに寄り添う仕事だと思っているので、悩みを持っている方にきちんとした知識と選択肢を提供することはすごく大事だと思いますし、あるべき姿だと思っています。

写真:水野和樹(左)、上原潤一郎氏(右)
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